ジャーナリスト齋藤浩之氏がフォードを語る(2)
- EuroFordMeetingJP
- 2022年8月14日
- 読了時間: 4分
ジャッキー・スチュアートが語った“いいクルマ”。
彼が運転するモンデオは、僕らを乗せてスコットランドの田舎道を走る。4名乗車。丘陵地帯のなかをくねくねと走る簡易舗装の狭い道。羊の放牧場が道沿いのいたるところにある。その間を隔てるのは緑の生垣。そのせいで、見通しはわるく、注意していないと不意に対向車が現れたりして肝を冷やすことになる。そういう道をスチュアート氏はこともなげにスイスイと走る。地元のひとたちと同じようなペースなのだろう。決して飛ばしているわけではない。すると、僕らがスピードを出さないことを不思議に思っていることを察知したのか、こう話し始めた。

「私が元F1ドライバーだから、200km/hとか300km/hの速度でテストするのが役目だと思っていたりしませんか。それは違います。私が担当しているのは80km/h、出してもせいぜい100km/hまでの世界なんです。フォードには優秀なテスト・ドライバーがたくさんいます。正しい方向性を示すことのできるリーダーがいて、優秀な実験開発部隊がいれば、基本的なセッティングの開発に何も心配要りません。超高速域や限界的なハンドリング特性を私が試す必要などどこにもないのです。腕っこきに任せておけばいい。私に期待されているのは、それとは正反対のことです。エンジンをかけた時、停めた時にブルルンっと揺れが出たりせずにスッとかかり、停まるか。ブレーキは減速度を自在にコントロールできるものになっているか。停止直前にングッと揺れたりせず、いつ停まったかわからないように扱えるものになっているか。ステアリングは横Gの変化カーブを滑らかに描けるものになっているか。唐突にGが立ち上がったりしないか。あえて意識的に努めなくても、普通に運転していて、そういう動きに自然になるものに仕上がっているかどうか。そうした諸々の細部のチェックを託されているのです。このクルマはファミリー・カーです。年老いたお婆さんが後席に乗ることもあるでしょう。腰も、頚も弱っているかもしれない。もし、唐突に横Gが立ち上がるステアリングだったり、カックンと大きなGを残して停まるブレーキだったらどうなってしまうか、想像してみてください。そういうものであってはならないのです。そして、特別に神経質にならずに運転しても、そういう動き方をするクルマこそが、良いクルマなのです。もし、あなたが家族を乗せて運転するときは、後ろにあなたのお爺さんやお婆さんが乗っていると思って運転してください。あらゆる動きがスムーズに優しく紡がれる運転が上手な運転なのです。ダイナミックに飛ばしたければ、そういう操作をすればいいだけの話です。クルマが勝手にそういう動きへ誘導するようなものである必要などどこにもありません。あってはいけないのです。私自身も、もちろん、フォードもそう考えています」。

話す間も生垣の間を縫うように走るモンデオのなかで、僕はほとんどGの変化を感じなかった。すべての変化が滑らか至極。まるで停まっているクルマのなかで話を聞いているような錯覚を覚えるほどだった。
ジャッキー・スチュアート氏はF1ドライバーだった時代、最もスムーズなドライビングをする達人として有名だった。後で知ったことだけれど、彼はスムーズなドライビングこそが最も速いという信念を持ち、そして、それを証明し続けた人なのである。
フォードの静かなハンドリング革命はやがて大きな花を咲かせることになる。こうした明確な目標を見定めた開発陣のもとで突き進んだフォードは、1990年代半ばにフィエスタのマイナーチェンジ・モデルでひとつの高みに達して英国の口うるさい自動車ジャーナリストを黙らせると、その後、エスコートの後継機種として投入したフォーカスで絶賛を博すのである。このセグメントの商業的なリーダーは当時、VWゴルフIVやオペル・アストラだったが、それらを足もとにも寄せ付けない優れたハンドリング性能と高い高速安定性、そして、円満な乗り心地と扱いやすさをことごとく両立してみせた初代フォーカスは、誰もが認める文句なしのベンチ・マークとなって、西欧自動車世界の認識を覆したのである。前輪駆動時代になってからのフォードが“ハンドリングのフォード”と呼ばれるようになったのは、その頃からである。
蛇足ながら、リチャード・パリー・ジョーンズ氏は功績が認められて、その後、フォードの副社長になった。
その3に続く
齋藤 浩之(さいとう ひろゆき) ENGINE 編集部 副編集長。仙台で大学を卒業後、上京。自動車専門誌『カーグラフィック』の編集部に職を得る。以後、自動車雑誌編集部を渡り歩き、『ナビ』、『カーマガジン』、『オートエクスプレス』、『オートカー・ジャパン』などを経ていまにいたる。現在は『エンジン』編集部在籍。
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