ジャーナリスト齋藤浩之氏がフォードを語る(1)
- EuroFordMeetingJP
- 2022年8月9日
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今は亡きフォードジャパンリミテッドが発行していたオーナー向け会報誌「FORD TIMES」に掲載されていたCGTVでお馴染みの齋藤浩之氏のコラムをご紹介します。

フォードのクルマについて知ったいくつかのこと。
僕が自動車雑誌の世界で働き始めて最初に体験したフォードは、北米フォードのトーラスだった。1980年代後半のことだ。空力の申し子のようなつるりと滑らかなボディ・ラインをまとって誕生したその中型サルーンは、インテリアも負けず劣らず最先端デザインで仕立てられて、まるでヨーロッパ生まれのクルマと見まがうほどに斬新だった。前輪駆動だったから、室内はそれこそ広々としていた。それでいて、アメリカ車ならではの嬉しさもあった。前席に3人掛けが可能なスプリット式のベンチ・シートが選べた。自動変速機付きなのだから、ギア・セレクターはコラム・レバーで十分でしょ、というアメリカ流の合理的考え方が時代の先端をいく欧州調デザインのなかにあっけらかんと放り込まれていて、とても新鮮だった。走らせてはアメリカ車でありながらヨーロッパ車のようでもあり、これまた印象深かった。フワフワ、ブカブカとの決別がそこにあった。
トーラスは北米で空前のヒット作となって、アメリカの自動車風景を変えるほどの影響を及ぼすことになる。そして、欧州フォードにも多大な影響を及ぼしてゆく。
1990年代初め、ドイツへ出張した時にレンタカーを現地で借りることがあった。まだ卸したてのフォード・エスコートのワゴンだった。エンジンは1.6リッター。僕にとってはそれが初めて触れる欧州フォードのクルマだった。エスコートは前輪駆動に転じてからすでに何年も経っていて、とりわけそこに新しさはなかったけれど、運転のしやすい、温かみのあるクルマだった。靴底の厚い、とでもいえばいいのか、安心感のある身のこなしが印象的だった。
けれど、ヨーロッパ、とくに英国の自動車ジャーナリズムは、そうした欧州フォードのクルマの運動特性の仕立て方を、年金生活者のための冴えないものだと揶揄していたりもしていた。安心、安定、寛容がわるいわけではないけれど、そこにフレッシュな感触が織り込めないのか。英国の自動車雑誌の世界ではそういう論調が支配的だった。
そんな欧州フォードに新風が吹き込んだ。北米フォードのトーラス大ヒットに勇気づけられたかのように登場したモンデオである。シエラの後を継ぐ意欲作だった。横置きエンジンによる前輪駆動、トーラス用と基を一にする形式のサスペンション・システム、落ち着いた印象の、それでいてフレッシュなスタイリング。何もかもが新しかった。
モンデオは日本へも輸入されるということで、プレス向けの国際試乗会が開かれ、それに参加する幸運に恵まれた。まだ寒い時期にスコットランドで行われたその試乗会の技術説明の場で陣頭に立ったのが、当時はシャシー開発の現場のトップだったリチャード・パリー・ジョーンズという人だった。プレゼンテーションに続いて行われた質疑応答で、シャシー開発の方向性を問われると、彼はこう答えた。「このセグメントでベンチマークとなるライバルは2台ある。プジョー405のハンドリング性能は楽しく素晴らしいが、高速安定性は十分に高いとはいえない。日産プリメーラの高速安定性は素晴らしいとしかいいようがないが、あの脚は硬すぎる。フォードはドイツのアウトバーンでの日常的な高速走行を前提に脚を仕立てなければならない。だから405のような道は選べない。しかし、だからといってプリメーラのような脚はフォードとしては許容できない。モンデオで目指したのは、その2車の間のどこかに高い折衷点を見つけることだった」と。その率直な物言いにひどく驚くとともに、この人は世界を広く見ているなぁ、と感心したのを昨日のことのように覚えている。
果たして試乗してみると、モンデオはまさにそういうクルマに仕立てられていた。そこには405やプリメーラのもたらした衝撃はなかったけれど、話を聞いた後だけに、滋味豊かな仕立てと納得がいった。試乗プログラムには趣向が凝らされていて、ジャッキー・スチュアートが運転するモンデオに同乗する機会も設けられていた。1970年代に3度の世界チャンピオンに輝いた経歴をもつスコットランド出身の元F1ドライバー、スチュアート氏そのひとである。彼は当時、リチャード・パリー・ジョーンズに請われて、欧州フォードの走行開発実験部を手伝っていた。
その2へ続く
齋藤 浩之(さいとう ひろゆき) ENGINE 編集部 副編集長。仙台で大学を卒業後、上京。自動車専門誌『カーグラフィック』の編集部に職を得る。以後、自動車雑誌編集部を渡り歩き、『ナビ』、『カーマガジン』、『オートエクスプレス』、『オートカー・ジャパン』などを経ていまにいたる。現在は『エンジン』編集部在籍。(2016年現在)
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